大島石の特徴
七百余年の歴史
大島石の歴史は、戦国時代末期の武将として名高い藤堂高虎が徳川家康の命を受け、伊予の国今治への築城を行ったことから始まりました。家康から困難を伴う事業をまかせられた高虎は、豊臣秀吉の大阪城築城で腕を磨きあげた石積み名人である、石屋治衛門を棟梁に任命しました。
大阪城は1604年(慶長9年)に完成しました。しかし、城の機密事項を知る彼らの口を封じるために藩主である高虎から処刑命令が下されました。石屋治衛門はその難を逃れて大島に辿りつき、そこに良質の花崗岩が埋もれているのを発見したといいます。その花崗岩を自らの技術で切り出したものが、大島石のルーツであると言われています。
大島石が産業として成り立ち始めたのは、明治の初期ころからです。当時は、土木材料や築港の為の石材として使用されていました。大島石はその後、日清戦争に備えての広島県の呉軍港の整備や、明治42年完成の大阪心斎橋・赤坂離宮などにも使われ、その歩みを振り返ると歴史の重みを感じる事ができます。
また、大島石は調和がとれて落ち着きと詫び寂びを感じさせる石目を持つことから、日本の精神文化の中心である京都で大変好まれ、各宗派の本山や由緒ある寺院の墓地などでの建立実績は群を抜いています。
大島石の硬さと吸水率の低さは、日本の花崗岩の中で一、ニを競うものです。この事実は、石の堅牢さ、長期にわたる品質の安定、また磨きによって生じる光沢が優れていることを示しています。 関西では庵治石に次いで墓石材として人気があります。
大島石は別名【伊予大島】とも呼ばれ、特徴として吸水率が低く、永く建墓時の状態を保ちます。長い歴史、伝統と実績があることから100年品質の大島石とも呼ばれています。
なお、最近中国で採れる石で、大島石と見た目が良く似た新大島石という石が販売されていますが、こちらは大島石とは関係がありません。新大島石はG622とも呼ばれており、国産の大島石とは全く異なる石です。
4つの強み
墓石を建てる際の理想は、美しく、丈夫で、風化にも強いことです。
大島石は、花崗岩特有の雲母、石英、長石の配合が絶妙で美しく、石目も細かいという特徴があります。青味を含んだ滑らかな石肌は、大島石特有の美しさとも言えます。その気品ある佇まいは、お墓を建立したとき、周囲の墓石と比較しても確かな存在感が感じられるほどです。
こうした大島石の特性は、長い歴史の中で証明され、関西・中国地方においては、高級墓石と言えば大島石を指すまでに至りました。
今では全国的に知られるようになった大島石。産地は愛媛県で、特級、一級、二等、カレイの4種類があります。
- 特級 四国を代表する銘石。石目は細やかで、青み帯びています。硬く、 吸水率も0.111%と低く、色あせもありません。特級は希少価値の高いものになっています。
- 一級 大島石のなかで、石目のやや大きなものが一級と呼ばれています。時を経るごとに青みがまします。関西、中国地方で高い人気を誇ります。
- 二等 大島石の中で石の目のより大きなものが二等と呼ばれます。一級との見極めは難しく、メーカーや商社によっては二級と呼ぶこともあります。
- カレイ 異なる丁場で採掘された大島石。特徴はあまり変わらないものの石目がやや大きく、黒玉が出現することがあります。
気品ある美しさ
大島石は石目、石肌ともに美しい事で広く認められていますが、外見に大きな特徴はありません。しかしながら、青磁の肌を感じさせる気品は、石の貴婦人と言わしめるものにふさわしいと誰もが感じることでしょう。なによりも、建立したときの他を圧倒する気品、風格は大島石ならのものです。
堅牢なこと
国産の花崗岩の中でも、大島石は硬くて粘りがあると言われています。また、吸水率がとても低く、過酷な条件下でも石の強さを示してくれます。建立時の状態を長期間にわたり保つ石と言えるでしょう。硬く吸水率が低いという特徴は、墓石として磨き上げることによって、美しい光沢として表れます。
色褪せしません
大島石の最大の特徴とも言えるのが、建立時の状態を長く保ち、色褪せしない事です。 それどころか、時間の経過とともに青味が強く感じられ、一層深みのある石肌を示し、永く美さを保ちます。
100年品質
大島石の持つ石目、石肌の美しさ、気品、風格、堅牢さは、大島石の特有の優れた特性であり、永い伝統と実績に裏付けられたものです。
お墓は各家庭の礎であり、代々承継されていくものだけに、100年品質の大島石は最良の選択肢と言えるでしよう。